けむりを見ていた

ひとりごと用のサブブログ

あの人についてちょっと考えた

あぁ、残念な話し方!  (青春新書インテリジェンス)

こんなん書いたら悪口になっちゃうかなー、ごめんなさい。でもギリギリで歳下だから(すごく近いんだけど)、まあアリだと思う!

そして本人はここ読んでないと思う。

 

某Sさんと某Sさんが、彼のブログ論がパクリだ、みたいなことをTwitterで会話してた。

このSさんコンビは実名出して活動してる、かなり詳しくて講師クラスの知識を持っている人。その元ネタの本も読んでる。

 

で、二人が、あれもはや結構パクりなんだけど指摘せずもう関わらない方がいいよねって話しているのを、見かけた。あいつマジでヤバいからさー、みたいな。

 

まあ、マジでヤバいかヤバくないかと言えば、ヤバめではあるんだけど。

でも彼には悪気がないと思う。もちろん、悪気なく悪いことをする人はただの悪い人だけど、彼にはまた他と違う一面があるというか。

 

例えば、「ブログに救われました」は、「もっと救われたかった」を内包している。本来ならブログ経由で彼女ができてトゥルーエンドと思ってただろうし。

あ、これ下衆の勘繰りだったらごめんなさい…。「救われたけど足りないんだ」としか読めなかったから、なにか人間関係かなーと。

彼女じゃなくても、自分を気分もレベルも引き上げてくれる(?)リアル友達とかかも。

 

そして彼の「これからは○○することに決めました」は、単に「今○○にはまってます!」に言い換えられるくらいなんだよね。ほんとはもっと軽めなの。

 

けれど彼は自分が軽めなことを自覚していないというか、軽めでありたくない軽めな自分を認めたくない、みたいな心理を私は読み取ってる。今は交流ないけど、なんとなくそんな気がする。

 

 

あー、うまく書けてるかな。行動そのものは軽率なんだよ、ただそれに意味付けが伴っていてそれが彼の中で重い。だからそれを読み取ると重く感じる。読み取れないと軽く感じる。

 

前述した本のパクり疑惑も、読んで納得した→「これは俺の血肉となった!」 →まるで自分が思ったことのように書いちゃう、みたいな。

…アウトかな?アウトかもしれない。

深く考えてはなくて、単に同化してるだけに見える。

 

 

本当はきっと、もっとインテリでいたいんだよね。

もっと重鎮でありたいんだよね。重厚で思慮深い人でありたいんだよね。

 

思われたい、じゃないんだ、ありたい、なの。

彼には自分の理想としての自分がいる。

言葉の上では細工ができる、そこに光明を見つけたんだよね。演出とも言う。

だから「やっとやりたいことが分かりました。私のブログ人生をこれに賭けます」とか、言葉上の雰囲気だけ重厚にしちゃう。

でも、見る人から見たら中身が伴ってないんだ。だって演出なんだから。舞台装置がすべて手作りではない舞台、みたいな。

 

作り事でもいいんだよ、と言ってもらうには、扱う話題に専門的なものを選びすぎていることが多い。だからちゃんと知っている人から見たら、思い込みすぎてヤバい人みたいになる。

 

でも逆に、重鎮に思われたい、の方が簡単なんだよね。思っている人はすでに数人はいるだろうし。

でも彼は結局、ありたい、なんだよね。だから飽くなき欲求、みたいになるしかないし、揺らぎやすい。なりたいと思ってなれるようなものを設定していないから。

 

だからずっともがいているんだろう。

 

これは私にこそ、もっとこうありたい、みたいな理想があるから、変に重ねてしまっているのかも?いや、私には理想ないけど、多分。

でも彼の心理をなんとなく読んじゃうんだよな。正解かどうかは分からないけど。

 

だからみんな、彼にもっと優しくしたらいいのに…、というか、優しくされたいからだろうけど、ここんところかなり読者層を絞りに行ってて、これ自覚ないんだったらすごい生存本能だと感心してしまった。

うん、居心地のいいところを見つけてね。

でもブクマ数を喜ぶのはやめた方がいいよ…悪目立ちするから…。

 

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